●夢多きぶどう栽培(人生プリズム 平成五年より)
この三月は、同年輩の多くの友が定年退職の日を迎えられた。きっと次の人生の完全燃焼を目指して新しい一歩を踏み出されていることと思う。
私は四年前、一足早く三十三年余り勤めた農業教員を辞し、かねてから望んでいた農業戦士の仲間入りをした。目下、ぶどう栽培とその研究に取り組んでいる。今、私の人生でなすべき仕事は何かを考えたとき、「お金で時間は買えない。この仕事は私しかできないだろうし、今しかやれない」と決断してこの道を選んだ次第だ。
私は、昭和七年に和気町の片田舎の農家の二男として生まれた。七歳で父と死別。以来、遊びより農業の手伝い優先の生活をした。特に食べ盛りの頃、終戦を迎え、当時三人家族の生活が、兄・姉の帰郷と、身内二家族の外地からの引き揚げで、一挙に十六人家族となり、衣食住等々大変な窮乏生活を体験した。その時味わった異常な苦しみと、克服のために流した汗が、農業一辺倒の人生観を培ったのだろう。
瀬戸農校を経て岡大卒業の翌日から、農試果樹分場へ全く無給で勤務。農業青年派米制度への応募は体重不足で夢が破れた。小農の二男は営農もできず、急遽、昭和三十一年中途に縁あって、当時定時制の精研高校へ農業教員として奉職する身となった。以来、平成元年三月瀬戸南高校を辞すまで、果樹栽培を中心に、生徒と家庭の営農指導、地域の篤農家などと深くかかわって、農業後継者の育成や、学校農場の地域センター化をめざして努力した。昭和五十六、七年と農業改普及所との人事交流で農村の実態に学び、農業教育の一層の振興に努力した。しかし、年々農業は衰退し、後継者も育たず空しい感に襲われることが度々あった。
さて、私がぶどうに取りつかれた動機は、昭和三十年代末頃より本県(岡山県)特産のキャンベルが、他県の巨峰や無核デラに押されかけた時、将来性を心配して、対策を考えたことから始まった。
そこで、四十年代当初から、キャンベルに替わり高収入が挙げられる品種探しに公、私立研究機関、篤農家など各方面を訪ねた。努力したが希望に添う品種は発見できず、やむなく、自分で品種を収集し、試作検討することにした。その結果、キャンベルより優れたものは数あるし、年々品質の比較水準が高まるため、二百四十七品種も試作したが、土地が不足し、目的は果たせそうになかった。
そこで、四十八年から方針を変え、自分で納得できる新品種を育成することと、どんな品種でも上手に作る栽培技術を確立すること、この二点を研究課題として取り組むこととした。
育種は、以降豊富な品種群を親に毎年約三十組ほど交配し、実生を育てて優良個体の選抜を続けている。既に淘汰実生千余本。果実調査中が約五百本。未結実樹約千本。育成登録品種が、「瀬戸ジャイアンツ」「ハイベリー」「ブラック三尺」「涼玉」の四品種と登録予定数固体がある(現在は七品種の登録済み)。この仕事は、新品種の保存、交配採取、実生の育成、固体調査と淘汰選抜、二世代の試作調査、登録申請、現地調査確認、公表までに実に十有余年の歳月がかかる。その間緻密な管理と調査、莫大な労力と経費を要する。夢は大きいが雨夜に星を求めるごとく報われない仕事である。幸い、近年「瀬戸ジャイアンツ」が巨大な皮ごと食べられるタネナシ マスカットとして、また、「ブラック三尺」が巨大房、粒の高級マスカット系新品種として、にわかに注目を集めるようになった。これらの新品種は公表後四年、交配後、実に十七年の歳月を経たものだが、一般消費者の口に届くのはいつの日であろうか。同じく、追熟不要でおいしい洋梨「清麻呂」も既に十八年過ぎたが、日の目を見ていない。
さて、育種の成果は運を天に任せるとして、緊急を要する課題は、どんな品種でもその品種の性能を最高に発揮させ、一層美味しいぶどうを作る栽培技術の確立である。
いかに素晴らしい品種を導入したり、育成しても、その能力を発揮できなければ意味は無い。ニューピオーネはジベレリンのお陰だが、もしジベレリンが使えなかったら、本県のぶどう産業はどうなっていたであろうか。ジベレリンを使わなくても、全ての品種が全ての品種が上手に作れる技術こそが栽培の基礎基本となる技術である。そのための基本はぶどう樹の生育習性、果実生産の生理生態など、今日まで解明集積された生物科学情報を基礎として、自然の法則に沿った栽培体系の再構築が必要と考えている。
しかしながら、本県の現行栽培体系は著しく人為的で、品種による栽培の難易差、品質のバラツキが大きいなど、今後の多品種高級化嗜好に対して、あるいは更に激化する産地間競争などに対して、克服すべき課題が甚だ多い。
私は、自然法則を重視する「長梢剪定自由整枝法」の研究に取り組み二十余年、ようやくその成果を県下各地で実証中である。目下、二組織百余名が挑戦しており、やがて足腰の強いぶどう農家に育つと期待している。
現在、我が家で誇れるものに「世界のぶどう詰め合わせ」がある。多数の品種を新しい栽培法で育てた完熟ぶどうを三〜四品種詰め合わせ、その品種の特性と有機減農等栽培法の解説書を添え、栽培者の責任を明確にして販売し非常に好評を得ていることである。
今一つの夢は、マスカット・オブ・アレキサンドリアを超える新品種を育成すること、子や孫に『儂ほど稼いでみろ』と威張ることだ。現在の農家の主力は、私と同じ世代だ。今後、何年頑張れるか。後継ぎは農業から親の足を洗わせるのが現代流の孝行ともいう時代だ。
私は、農業の衰退を前に、村の生活環境も文化も福祉も問えず、日本の未来も無いと確信している。目下は何よりも、農業の生産原価、生産性を問い、一層高収益を挙げ、農民の自信回復と地位の向上を計る以外に途は無いと思う。命の続く限り神に祈りながらこの合鍵を求めて努力したいと思う。
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